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青森家庭裁判所八戸支部 昭和44年(少)537号 決定

本人 N・S(昭二三・一二・一四生)

主文

この事件について審判を開始しない。

理由

青森保護観察所長松山重孝が昭和四四年一〇月二四日付で当裁判所になした犯罪者予防更正法四二条による通告の要旨は、「上記の者は昭和四三年三月七日付で当裁判所において少年法二四条一項一号所定の保護観察決定をうけ、同日から同観察所において保護観察中のところ、当初約半年間は、一般および特別遵守事項を守り、自力更正と公的機関の補導援助の奏効を期待し得たものの、昭和四三年八月末ころ、八戸市内に歯牙治療のため通院し始めるや、次第に外泊を重ね、担当保護司の連絡を自ら断ち、犯罪性のある人と交際し、いかがわしい場所に出入する等少年法三条一項三号イないしハ掲記の事由があり、その性格または環境に照らして将来罪を犯す虞があるので、あらたに保護観察処分に付するのが相当である」というにある。

そこで当裁判所は調査の結果、そのころ本人が八戸市大字○○字○○○×番地所在の○藤○彦方に仮寓して演歌師または露天商として断続的に稼働していることを知り、昭和四四年一一月一二日観護措置決定をなしたところ、仮収容中の八戸拘置支所において赤痢病が発生し、本人にも罹患の疑があつて本収容すべき青森少年鑑別所において、いわゆる本収容方を拒む等の事態に至つたため、同月一五日本人に対し、〈1〉検便をうけその結果を当裁判所に報告すること〈2〉本籍地に帰住し父母のもとで稼働すること〈3〉組織的暴力集団との交際を絶止すること等の特別の遵守事項を指示のうえ当庁家庭裁判所調査官安久津寛の観察に付する旨の決定をなすと共に上記観護措置決定を取り消したところ、本人は〈1〉を履行し、暫くは本籍地の父母のもとにいたが、まもなく在京の友人を頼つて大工職として稼働し、あわせて暴力集団からの追及を免れたい旨申し出たので、これを許容した。その後本人は神奈川県川崎市方面でパチンコ店員として、暫く稼働していたが、消息を断ち、昭和四五年二月ころには八戸市内に帰つていることが判明したが、正当な理由がなく家庭に寄りつかないので、父母の正当な監督にも服しないものの如くである。かように本人には、なお、少年法三条一項三号イおよびロ所定の虞犯事由が存することが明らかであるが、同人はすでに成年に達して一年二月余を閲しているものであるから、いわゆる保護優先主義という少年法原理からは長ずるに従つてその要保護性も低減するものと解されるから、現下における本人の要保護性の程度は必ずしも重篤ではなく、また掲記のとおりその住居および職業も不詳であつて、一応はその要保護性の存在を推認させられるものの、これらの点に関しても、いわゆる未成年がかような状況にある場合と成年に達した者が同様の状況下にある場合とは、犯罪者予防更正法または少年法の各所期の目的からは要保護性の存否および程度の推認上、有意度において低減または減弱的に解するのが相当である(因みに、犯罪者予防更正法四二条を通観すると、二〇歳以上の者で少年法二四条一項一号の処分をうけている者に対し、保護観察所長からの虞犯通告が許されるが、この者に対し同法二四条一項一号または三号の保護処分をする場合には、それらの保護期間は二三歳を超えない期間において定めるべく規定されている点を参照すると、上記有意度は実質的には二三歳を超える直前において消去するものと解する余地がある。)から、これらの点を総合すると、この本人に対しては、その要保護性は必ずしも重篤でないといわなければならない。

よつて犯罪者予防更正法四二条二項、少年法一九条一項後段を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判判官 薦田茂正)

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